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第1回 大洗ゴルフ倶楽部

「素材の魅力」

唯一海を臨む16番ホール

コースの特徴

大洗ゴルフ倶楽部は、1953 年開場の全長 7,205ヤード、パー72、コースレート 74.9 のゴルフコースです。通称『大洗』を一言でいうと「美しい日本の原風景(素材)を持った難コース」と言うことができます。
私の友人でもあるゴルフ史家の大塚和徳さん(故人)は著書「日本ゴルフの聖地 100」で、大洗について「英国やアイルランドに多い海岸の砂丘にあるコースはリンクスと呼ばれる。高い樹木がなく、低木のヘザーやゴース、逞しいマラムグラス、それに小麦色の膝丈まで伸びたフェスキュー等が自然な波形の砂丘を覆って美しい。他方、米国のシーサイドコースの代表と言えば、西海岸のペブルビーチ GL。太平洋の荒波が岸壁に砕け、白い美しい波しぶきを上げる。これらに匹敵する日本のコースが大洗 GC である。黒松がフレームとなって、四季折々に色の変わる高麗芝の緩やかな起伏のフェアウェイとラフ、それに常緑のグリーン。多くの松の樹木は立体ハザードの役目も果たしている」と述べています。

コース設計家の誕生

コース設計は私の師である井上誠一氏です。氏が大洗の設計依頼を受けた当時、日本にはゴルフコースの専門(職業)設計家は存在していませんでした。井上先生も戦前から那須をはじめいくつかのコース造りに携わっておられますが、当時は先生の師である藤田欣也氏の指導を受けていたといわれます。
しかし大洗では井上氏に直接設計の依頼があり、日本で最初のゴルフコース設計の「専門家」がここ大洗で誕生したのです。また大洗は、井上誠一氏個人としても最初のオリジナルコースとなります。ちなみに世界で最初にコース改造を行ったのはセントアンドリュースのキーパーで、プロゴルファーでもあったアラン・ロバートソン(1815 年生まれ)で、そのため彼が世界のコース設計家の草分けだといわれています。そして日本での草分けが井上氏だといえましょう。
井上先生は常々、ゴルフ場造りにおいては「良い土地」(素材)、「良いオーナー」(資金)、「良い設計者」(技術)の三つの要素が揃わなければ「良いコース」は出来ないと話しており、これらの条件がすべて揃ったのが大洗だったといえましょう。そして自ら大洗の印象を「リンクス特有の荒涼とした砂地に魅入られ夢の楽園に迷い込んだ」と表現しており、手稿図面の筆跡からも、激しい情熱と強い自負をもって取り組んだ姿勢を感じとることができます。竣工時、先生は大洗のコースコンセプトについて次のように述べています。
「日本のコースは余りにも型にはまり過ぎていて個性に乏しいという感じがする。幸いにも大洗は、日本では珍しいシーサイドリンクス(砂丘)という立地条件に恵まれ、又他に類例のない黒松美林に富み、極めて個性的である。これこそ得難い日本ゴルフコースの宝物と言える」

ネイチャーデザイン

そして実際に、コースは砂丘地の自然地形をそのまま生かし、黒松林を自然の障害物に利用したネイチャーデザインのゴルフコースが出来上がりました。コースデザインは先生が最も好んだ「バンカーの中にフェアウェイがある」といわれて有名な、アメリカのパインバレーGC のイメージがモチーフになっているようです。また開業当時はそれぞれのホールから海を見ることができたようですが、現在は成長した樹木によって 10 番、16 番、17 番ホールの樹間越しにしか海を望むことは出来ません。
コースは、東側の海岸線に沿って 18 ホール全体が南北方向、斜め平行にレイアウトされ、内陸部にアウト、海寄りにインが配されており、ホール幅は全て広めにとられています。しかしフェアウェイ(ライン)と林帯間のラフの幅が極端に狭くなっているため、フェアウェイを外したボールは多くが林の中に飛び込むことになります。林の中はあるがままのウエストエリアで、プレーヤーは、まずこのエリアで大洗の手痛い洗礼を受けることになります。そして樹幹ぎりぎりに置かれたバンカーがさらに追い打ちをかけてきます。バンカーは荒々しいスコティッシュラインで、深い掘り込みタイプになっています。エッジは風化し、松の下枝が垂れ下がり、まさに暴れたナチュラルハザードに変貌してきています。大洗の真の難しさは、このラフの狭さと黒松林からのリカバリーショットとそのバリュー(技量)にあるようです。

バンカーに囲まれた6番ホール

 

「暴れる」という言葉は我々の専門用語で、より自然美に近づいてくることを言い、先生はこれを『日本の自然が織りなす乱調美だよ』ともおっしゃっていました。私は個人的に、このバンカーこそが大洗の影の主役ではないかと考えています。またこの形状のバンカーデザインは、他の井上作品では見つけることができません。大洗は樹木の成長に合わせ、バンカーが脇役に回る相乗効果によって、設計者が意図する空中難易度がますます高まってきているように思えます。

 

7番ホールの戦略性

次に実際のホールについて具体的に検証してみましょう。
7 番ホールは日本を代表する戦略型ホールとの評価が高い、全長 578 ヤード、パー5、HDCP 3 のロングホールです。

ホールには基本的にプレーヤーそれぞれのスキルに応じた 3本の攻略ルートが設定されています。ティーからはホール幅も広く、シンプルな林間のホールに見えますが、フェアウェイ 300 ヤード付近が S 字状にくびれています。そのため林帯部ⒶⒷⒸⒹによって絞り込まれた空間をいかに抜けるかが、ホール攻略のポイントになります。

右側林帯Ⓐぎりぎりに第1打、 第2打はフェアウェイ右側の樹林Ⓒの上から2オンを狙うルート
第1打をⒶ左サイドに落とし、第2打を左右林帯ⒷⒸの間の空間を抜けて3オンを狙うルート
全ての樹林帯を、避けて4オンを狙う寄せワンのルート

戦略性とは、一言で言えば「個人のスキルに応じた攻め方(攻略ルート)の多様性」です。

 

≪井上誠一・言語録≫

先生の手稿、直筆の文章、図面等、コース設計関連資料はそれぞれの倶楽部に秘蔵され、逸話も伝承されています。これらの貴重な資料等、その一部をお借りし、引用させていただくことで、今回のテーマの実証の一環に、あわせて私が書き留めた先生のお話(発言記録)を通して、明治生まれの先生の気骨と、ウイットとユーモアに富んだ人柄の一端を紹介したいと考えています。
今回は、先生が自ら倶楽部の会報誌に大洗への思いを寄せた「この径はいつか来た径」と題した文書を倶楽部の了解を得て引用(一部省略)させていただきます。


「この径はいつか来た径」

井上 誠一

カナダ・カップでの寅さんの優勝以来日本のゴルフ界の隆盛は素晴らしいものですが、まだゴルフコースも数少なく毎年行なうクラブ対抗競技も関東 8 クラブの間でやっていた当時のある一日、何かの所用で水戸に行き一泊した翌日、少々手持無沙汰の時間が出来たので当もないまま時間つぶしに大洗行の電車に乗りました。その当時此の電車は大洗海岸を過ぎ那珂川河口にある祝町まで行っていました。
大洗を過ぎ祝町に向かって動き出した途端私は強いショックに襲われたのです。電車は夢の園へ走り込んだようです。左を見ても右を見ても、前も後ろもどこまでもどこまでも緩やかな起伏のつらなるただ一面の砂原に夫々特異の美しい姿を競い合っている大小さまざまな黒松群、それは砂と松との極めて素朴なただ二つの素材が産み出す単調なデュエットに過ぎない筈なのに、その景観の醸し出す異様な雰囲気と興趣はとても言い表す術もない感銘を与えるのでした。
昭和 26 年 9 月大洗にゴルフコースを作るにつき予定地を見て貰いたいとの友末知事の御招請を受け現地に同行致しました。その予定地が計らずも私の夢の園だったのです。(中略)

開場間もなく来場しベランダで寛ぐ井上誠一氏(左)

どうして此の地域一帯だけが全く手もつけられずに残っていたのかと不審顔をする私に友末知事は「ゴルフ場にするために取って置いたんだよ」と笑って居られました。
自分の夢の園に自分の手でコースを設計する仕事を与えられた喜びは御想像に任せます。之に対する私のデザインの基本方針は、日本国内では求めても得られないシーサイドコースの気分を精一杯に盛り込むことでありました。飽く迄も自然の地形を生かし、人工的な気分を与えないように。グリーンを高く築き上げ、ねっとりとしたバンカーの線を出すようなことは絶対避けたい。又第一印象の砂丘と黒松林だけの最も素朴な組合せによる美、之を主題にしてコースの戦略性を強く発揮せしめる。バンカーなどに頼らないで松の木や松林を障害物として利用する。砂丘のアンデュレーションも戦略要素を形成する重要な素材とする。といったことが何の逡巡もなく最初から頭の中に決まって居りました。
そして此の結果がコースをプレーした方々から或いは賞賛を受け或いは罵詈される原因につながっていると思います。
然し、私は大洗は之で良いのだ、斯れであらねばならないのだと強く信じ、又自負しています。それは決して自己満足だとは思っていません。之以外の考え方は大洗を冒瀆するものだと思っています。(以下略)

(大洗ゴルフ倶楽部会報「大洗」より 昭和 43 年 10 月発行)


画家は、思索と構想をもって白いキャンバスと向き合います。先生のキャンバスにはすでにゴルフコースのクロッキー(素描)がはっきり浮かびあがっていたようです。現地をはじめて見たときからコースができるまで、大洗と巡り会えた感動と喜びの心情のすべてが綴られています。