■■ ブログの趣旨と人物紹介 ■■

「井上誠一氏が設計したゴルフコースの紹介」 コース設計家 嶋村唯史

はじめに

ゴルフコース設計家、井上誠一(1908~1981)氏の名前を知っている方は多いと思います。氏は生涯 33 カ所(実際には久里浜等詳細不明のものや外国も含め 41 カ所)のゴルフコースを設計し、その作品に駄作がないと言われる日本を代表するコース設計家の一人です。そして氏が手掛けたコースでは日本オープンをはじめ数多くのトーナメントが開催されており、現在でもその評価は高く、すべてプレーヤー羨望のゴルフコースになっています。しかし今は、コース新設の時代から改造、つまり「デザインリメーク」の時代に入ったと言われています。氏は戦前から戦後にかけて東京GC、霞ケ関CCをはじめ、歴史あるコースの改修工事も数多く手掛けておりますが、改造に関しては、「黒子に徹する」との氏の信念に基づき、コース名などその詳細は公表されていません。私は、1973 年から 1978 年までの約 5 年間、井上先生のご自宅の最寄り駅である武蔵関の近くに仕事場を構え、その仕事場とご自宅を頻繁に往復しながら、コース設計について直接教えを受けておりました。このご指導は先生が熱海に転居なされてからもかわらず、お亡くなりになるまで続きました。
そのころ先生は、常々「僕は設計家ではなく、ゴルフ場造りの職人なんだよ」と話しておられました。確かに日本文化の根底には、その芸樹的普遍性も含め、物づくりのプロである専門職人によってそのベースが創られてきた歴史的背景があります。昔は画家も絵師と呼ばれ、建築は全て大工の棟梁がまかされ、設計家もデザイナーの名もなく、その存在すらありませんでした。すでに私も、井上先生がお亡くなりになられた年齢に達し、はじめて先生の「設計者としての謙虚な姿勢と品性」を継承していかなければならないという責任の重さを改めて実感しているところです。

テーマについて

今回、桜ゴルフの佐川社長より「井上誠一氏が設計したゴルフコース」をテーマとしたエッセイ執筆の依頼を受けることになりました。そこで私なりに先生のどのコースを取り上げ、どのようなテーマで書くべきか思索していたのですが、先生が亡くなる2年前(1979 年)に、本人から「あるゴルフ雑誌で元プロ野球選手と対談することになったよ」と話されていたことを思い出しました。その時、対談相手から気に入っている作品を聞かれたとき、先生は「会心の作というとちょっとありませんけどね。結局、ゴルフコースはその場所の立地条件に左右されてしまいますから、立地条件の良いところにやらせてもらったのが、結果的に良いコースになっていると言って差し支えないと思います。そういう意味から言いますと大洗と龍ヶ崎がいいのではないでしょうかね。まだ知られていませんけども、名古屋の南山CCが私は割合気に入っているんで」と答えていました。
そこでこのコメントを参考に、私なりにゴルフ場を、大洗GC、龍ヶ崎CC、南山CCの3 つに絞り、他に日光CCと大原御宿Gコース、鳴沢GCを加えた 6 つのゴルフコースを選ぶことにしました。日光は、私が最も先生らしい作品だと感じているコース、大原御宿は先生の生前最後の作品(遺作、建設中に死去)です。そして 6 つめには僭越ですが、私の作品である鳴沢GCを選びました。評価は別として、美しい日本の景観とオーガスタデザインの融合をテーマに、私なりに先生の教えを最大限活かせた会心のゴルフコースと自負している作品です。これら氏設計のゴルフコースを通して、井上デザインの基本理念とその作品の深趣性、言い換えると氏の『ゴルフ場造り』の本質を、設計者の観点から本人の語録も交え、探ってみたいと考えています。

<<嶋村唯史 原稿概要>>

◆テーマ◆

「名匠・井上誠一氏設計コースの魅力」

◆ゴルフ場選定理由◆

「戦後初期と晩年の作品」大洗GC、日光CC、龍ヶ崎CC、南山CC、大原御宿GC

◆掲載内容◆

①ゴルフコースの歴史と特徴

②設計家から見たゴルフコースの特徴とホールデザイン

③井上誠一関連資料


 

<<プロフィール>>

・ゴルフコース設計家 嶋村 唯史 1949年東京生まれ

西武建設株式会社入社後、西武グループゴルフプロジェクト発足に伴い、井上誠一氏に師事する。瀬田GC、大原御宿GCの専用助手を務める。その後、氏が死去するまで直接コース設計の考え方から図面の描き方まで薫陶を受ける

現在、日本ゴルフコース設計者協会理事。主な設計コースは鳴沢GCなど15カ所