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第6回 鳴沢ゴルフ倶楽部

鳴沢との出会い

今回連載中の「名匠・井上誠一氏設計コースの魅力」コラムの最後に取り上げたのは、僭越ですが、私が設計した鳴沢ゴルフ倶楽部です。井上誠一氏が亡くなって(1981 年死去)12年後の1993 年に開場したゴルフ場です。この間私は五つのゴルフ場造りに携わり、6 番目のゴルフ場が鳴沢GCでした。当時私は44 歳でした。

はじめに鳴沢ゴルフ倶楽部を取り上げた理由と、ゴルフ場造りに携わった経緯について少しお話したいと思います。

私は井上先生が亡くなった後、前述したようにいくつかのゴルフ場のコース設計と工事に携わっていました。しかし、果たして先生に教えていただいた設計理論を活かしたコース造りができているのか、常にそうした不安がつきまとい、解消されることはありませんでした。当然のことながら既に亡くなっていた先生から、直接作品の評価を受けることはできません。しかしあるとき、出来上がったゴルフ場はまだ完成品ではなく、この葛藤こそが「良いコースを探求する設計志向の源泉」であり、新たなコースデザイン創造の原動力となる。つまりそれはまだコース造りの途中なのだと気づいたのです。そしてトライ&エラーの繰り返しが、常に良いコースを求めるコース設計者の基本姿勢であり、設計者が求める永遠のテーマではないかと思えるようになりました。その上で一設計家として初心に立ち帰り、新たな心境で取り組んだのが鳴沢ゴルフ倶楽部だったのです。

富士山と河口湖

 

もともと「コース設計をできる人を私が育てる」――これが私と井上先生との出会いでした。そして 6 年間先生の教えを受けた私は、先生が亡くなった後も関連資料を読み返しながら、私自身のコース設計理論(指針)を纏める作業に注力し、合わせて交流のあったゴルフ史家の大塚和徳氏から世界のゴルフコースの歴史とコース設計家の系譜等のエビデンス(裏付け)のレクチャーを受けていました。そして 1988 年、はからずも、私にとって 12 年間の勉強の成果と経験を活かすチャンスが巡ってきます。

生前、井上先生は『良いコースを造るには良いオーナー、良い地形、良いスタッフの3 つの条件が重要だよ』と常々云われていました。そしてこの条件を満たし、さらに最高のプレミアムが加わったのが鳴沢ゴルフ倶楽部のオファーでした。プレミアムとは言うまでもなく日本の原風景、名峰富士を主景とした眺望です。井上先生が迷い込んだ夢の園が「大洗」とすれば、私にとって「鳴沢」は富士がほほ笑んだ夢の園だったのです。

ゴルフ場事業の発注者は三菱信託銀行、施工は大成建設(J.V)です。

そしてコース設計を私が、コースアドバイスをオーストラリアのプロ、ブライアン・ジョーンズ氏に依頼することになりました。完成後、正式なコース設計者名を誰にするか関係者で意見が分かれたようですが、発注者の意向により私ではなく、銀行傘下のデベロッパー(㈱山一土地)社長の塩田勇昭氏を設計者、コースアドバイザーをジョーンズ氏にしたいということになり承諾しました。私がまだ若く、西武の社員だったことがその理由のようです。 鳴沢ゴルフ倶楽部はオープン当時から特にコースの美しさが密かに話題となり、女子トーナメントで知名度が上がったにもかかわらず、今も「設計者不詳のヒドゥン・ジェム(hiddengem)」のゴルフコースとの評価を頂いております。

 

日本のオーガスタに

33年前、私が取り組んだコースづくりのテーマは、鳴沢を「日本のオーガスタに」でした。新春、目に飛び込んでくる清々しいマスターズトーナメントの映像は、ゴルフシーズンの幕開けを告げる風物詩にもなっています。以前からこのオーガスタの「人を惹きつける磁力のようなコースの魅力」とその根源、つまりその本質とは何か、美しいコースへの憧憬も含め、コース設計者として常に興味と羨望を持ち続けていました。

そして鳴沢と巡り合った時、その環境と地形条件から、ここならオーガスタのような「気品と品格をそなえたグローバルなゴルフコース」ができるとの直観が閃き、同時に今の鳴沢の8番ホールのシルエットが頭の中に浮かんできました(8番ホールについては後述のデザインプランの項で触れることにします)。さらに瞬時に今まで練り上げてきた他の構想も頭の中を駆け巡ります。そして求めるニューコンセプトを探し出すには、逆に今までのオーガスタの先入観の概念、つまり単なるコースへの憧憬やディテールデザインの模倣を捨て、真のオーガスタを知ること、つまり伝統と格式ある孤高な倶楽部の真のスピリットを知ることの重要性を認識しました。基本的にはオーガスタの歴史から勉強することでした。

ここから、私自身が鳴沢のコンセプトづくりのために検証したオーガスタの歴史と、実際に現地を見聞して感じたオーガスタの深趣について述べてみたいと思います。

オーガスタナショナルゴルフクラブは、生涯アマチュアゴルファーで「球聖」とも呼ばれたボビー・ジョーンズ(ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア)の夢をコース設計の「巨匠」アリスター・マッケンジーがかなえたゴルフ場です。2人の出会いは1929年サイプレスポイントGC(米カリフィルニア)に遡ります。その時ジョーンズはジョージアの片田舎オーガスタでのゴルフ場造りをマッケンジーに依頼します。そして2人の邂逅から 4 年後の1933年にゴルフコースが開場します。

しかし実際には設計者としてのマッケンジーは 2 回しか現地を訪れていないようです。1 回目は現地調査時、そして 2 回目は芝撒きを終えた工事完了後です。この時はジョーンズと2人でコースを回りデザイン監修をしていますが、その後は第 1 回目のマスターズトーナメント(正式にはインビテーショントーナメント)も含め現地には招待されず、その年にパサディエンポで亡くなっています。つまりマッケンジーは、実際のデザイン造形にはタッチしておらずルートプランだけを作り、後はすべてジョーンズと建築技師のウィルデル・P・ミラーによって作られたようです。

その後コースは、今日まで著名なコース設計家によって数多く改造が繰り返されてきました。しかしコース設計者はあくまでマッケンジーであり、倶楽部創設者のジョーンズと共に歴史と伝統のステータスを永久に変える気はないようです。ここにもオーガスタの強い誇りとこだわりを見ることができます。因みにマスターズトーナメントは、今日まで USGAではなくすべてオーガスタの倶楽部ルールでおこなわれています。

毎年マスターズトーナメントが開催されるコースの詳細についてはここであらためて述べませんが、オーガスタの魅惑について、R&Aの会員でもあるアンドリュー・トムソン氏は「オーガスタを知ることは、近代、つまり 1900 年以降のコース史を知ることと同じです。オーガスタから生まれたゴルフコース設計の原則は、今日でも世界中で議論を呼んでおり、マッケンジー博士とジョーンズのコンセプトを理解すれば、今日プレーするすべてのホールが新しく見えてくると言っても過言ではありません」と世界のゴルフ界のオピニオンリーダーとしての役割を強調し、興味深く述べています。

 

※アリスター・マッケンジー

1870年北アイルランド生まれ

ケンブリッジ大学で薬学を学ぶ、ゴルフコースに興味を覚えコース設計家に。世界各国約 100 コースの設計に携わる。

 

現地のオーガスタNGCには 1988 年 10 月、アメリカの歴史と伝統のあるゴルフコースを選んだ現地視察の際に訪れたことがあります。その時は、他にペブルビーチGL、シネコックヒルズGC、セミノールGC等8カ所を3週間ほどかけて回ってきました。

当時のオーガスタはアトランタ空港から小型ジェットで約 45分、ゴルフ場は市街地の閑静な森の一角にありました。

1989年 オーガスタGCにて(左が筆者)

ワシントンロードに面した小さなゲートをくぐり、マグノリア(レーン)樹林の230mのトンネルを抜けると静寂の中に写真で見る白亜のコロニアル風のクラブハウスが現われます。レーンの両サイドは練習場になっていました。

建物は旧領主(ベルックマン男爵)の邸宅が増改築されそのまま使われています。建て替え(新設)を当時のメンバーが認めず、南部でははじめてのセメントづくりということで有名だった建物です。

玄関(ロビーはなし)は小さくメンバーオンリー、風格と気品を漂わせるハウスの外装はペンキ仕上げで部分的に剥げているところがあり、細かいことにこだわらない国民性の一端が見えたような気がしました。ハウスサイドには数棟の白いキャビン(別荘)が立っており、その奥の池の周りに併設されたパー3コースは、マスターズの前夜祭パー3コンテストの会場です。

ゴルフプレーはメンバーのアードマン氏と一緒に計 4 名でスタートしました。氏によると当時メンバーはアメリカ全土に300名(創立時は50名)おり、彼はハワイ唯一のメンバーだったそうです。

コースを回ってみると高低差が63メートルあり、意外とアップダウンがあることに驚きました。特にアウトコースはティーからグリーンが見えないホールが半数以上を占め、地形を生かしたコースの隠れた難しさの一端を垣間見た気がしました。

設計者のマッケンジーがコースコンセプトについて「オーガスタでは、地形の性質から示唆される最高の特徴を具現化することで、古典的なホールのコピーではなく、18 個の理想的なホールを作成しようとしました」と言っているように、自然の渓流をファンディーションに取り入れたアーメンコーナーの 11、12、13番、池越えの15、16番のコースデザインは人工造形美の極致という印象を受けました。当時アーメンコーナーの一角、13 番ホールはまだ471ヤードのパー5の設定でした(現在は 545ヤード)。

私が受けたオーガスタの第一印象は、華やかなトーナメントのイメージとは異なり、静かな森の中に佇む意外に「素朴でシンプル」なゴルフ場の感じでした。そして倶楽部内では常にフレンドリーな対応がなされ、特に我々ゲストに対するホスピタリティーは完璧でした。遠くにいても誰ともなく目が合うと必ず手振りと笑顔が返ってきました。

 

デザインの深淵

ここで話を鳴沢ゴルフ倶楽部に戻しましょう。ゴルフコースの全長は7017ヤードです。 ゴルフ場は都心から90分、富士山北麓の高級別荘地で知られる山梨県鳴沢村の自然豊かな原生林の一角にあります。さらに地形が山麓から湖畔まで高低差100mのなだらかな片傾斜になっているため、ホールの背景には富士を正面に見上げる垂涎のロケーションが広がっています。

コースは全て赤松と白樺によってセパレートされ、ホールは樹間ゾーンも含めフェアウエイ幅が広く、ゆったりとした気分でリゾートゴルフを愉しむことができます。

そして鳴沢には二つの象徴的なホールがあります。一つは 8 番 174 ヤードのショートホール、もう一つは 18 番 538 ヤードパー5 のフィニッシングホールです。特に富士山に向かってショットする池越えの 8 番は私がはじめて現地を見た時、一瞬にして映像のインスピレ ーションが閃いた象徴的な場所に作ったホールです。正面の池には女神のような逆さ富士が映ります。そして最終18番のロングホールは、フェアウエイに食い込んだ池がグリーン全体を浮き島に見せ、背景のクラブハウスと雄大な富士とシチュエーションとコントラストが見事です。この両ホールはともに背景には富士があり、シンプルでピースフルな鳴沢の美しい景観、言葉を変えると『日本の原風景』を浮かび上がらせています。

ここで鳴沢の二つのシグネチャーホールのお話をする前に少しコース設計、特にデザインの考え方について触れてみたいと思います。

コース設計には基本的に ①マスタープラン(骨組み)、②サイトプラン(配置)、③デザインプラン(造形)の三つの作業工程があり、これらを順次進めていくことになります。これは井上誠一氏のコース設計の考え方でもあります(下図参照)。

 

 

上表の内容を順にもう少し詳しく述べましょう。

最初の現地調査の重要性については第2回の日光CCの項で、設計者の役割とその資質を取り上げました。

①はゴルフ場の全体計画案(図)の策定です。一般的にはルートプラン、またはコースレイアウトと呼ばれており、クラブハウスを中心とした 18ホールのストーリーがこのルーティングによってつくられています。

②はルートプランを構成する各ホールの詳細設計、いわば個性づくりです。具体的にはフェアウエイを中心としたティー、グリーン、バンカーその他のハザード(池等)の配置設計を行います。

③は各ホールのビジュアル(意匠)デザイン、言い換えるとホール造形を言います。ゴルファーが受けるコースの印象になります。

またコースづくりの場合、骨格となる①のマスタープランが最も重要であることは前にも述べました。今回は特に③のデザインプランについてお話したいと思います。

 

鳴沢の地形も日光と同様、片傾斜地(高低差 100 メートル)になっているため、ルートプランのレイアウトは日光 CC がお手本になっています。つまり用地のほぼ中心部にクラブハウスを置き、インとアウト 9 ホールを高低で 2 ゾーンに分けることでアップダウンの半減化を図る考え方です。基本的なルーティングの考え方は 18 ホールワンウェイ(GOOUT、COMEIN)方式で、10 番にパー3 を配置したのもそうした考えに基づくものです。コース景観のメインテーマは言うまでもなく富士です。ホール毎に見る、姿の変化と共にプレイヤーを温かい眼差しで見守り、メインホストの役割を担っています。そして現在シグネチャーになっている8 番、18 番ホールの雄大な全景が大きく待ち受けます。

 

一般的にシグネチャーホールというと、コースの中の名物ホールもしくはゴルフ場を代表するホールを言うようです。例えばオーガスタナショナルGCのアーメンコーナーと呼ばれている11、12、13番ホール、サイプレスポイントGC波打ち際の15、16、17番ホール等は名実ともに世界的な名ホールとして周知され、ゴルフ場の代名詞にもなっています。しかしその定義は、倶楽部のステータスなのか、話題性(評判)なのかは明白ではないようです。 設計者にはもともとシグネチャーホールを造ろうとする発想はありません。なぜならコース設計では、まずコース全体のホールバランスを考えます。具体的にはデザインの統一性とコンセプトの一貫性です。つまり異端を避けるのです。そのためにオープン後どのホールが実際のシグネチャーホールになるかの判断がつかないのです。

ところが、オープン当時一番良くないと心配されていたホールが時代背景と共にプレースタイルが変わり、名物ホールに変貌した例は多々あるのです。例えば名古屋GC和合コースの16番のように、距離の短いパー4の左ドッグのブラインドホールが、ワンオン可能でスリリングで面白いホールとして近年話題になっています。このように現在のシグネチャーホールとはある意味で「時代が求めているホール」のことを言うのかもしれません。しかし歴史と伝統を持った倶楽部には必ず時代に動じない不変、不動の永久欠番ホールがあります。霞ヶ関CC東コースの改造前の 10 番のパー3 ホールは世界の名ホールの一つと云われていました。

 

鳴沢のシグネチャーホ―ル

鳴沢のシグネチャーホールは 8番と18番と言ってよいでしょう。このホールは初めから造るべくして造られたホールだからです。もともとこの二つのホールのデザインイメージは、鳴沢のホールデザイン構想の核を占め、特にコンセプトを集約して仕上げたホールにほかなりません。

現地調査の段階で原生林の地形(場所)の中に最初にこの 2つのホールポジションを見つけました。後はこの2ホールを基準(固定)にして18ホール全体のルーティングの整合性を図り、特にラスト3ホールにいかに組み込むかがプラン作りの最大のポイントでした。

 

レイアウトを考えながら以前から造りたいホールのイメージとして密かにあたためていたのが右下のスケッチです。

 

 

 

 

 

 

 

しかしこのイメージを再現するにはこのスケッチの構図になる適性地形を見つけなければなりません。私が初めて現地を見たとき、ここならできそうだと一瞬のうちに「映像のインスピレーション」が閃いた象徴的な場所が現在の 8 番ホールのある場所なのです。

次に設計でティー、池、グリーンが、富士山に向か って一直線になる配置を固定し、そしてレイアウトの最終 3 ホールに組み込みました。この作業はまるでパズルを解いているかのようでしたが、ほぼ希望(写真)どおりの位置に収め、全体のルートプランをまとめることができました。写真は現状の8番ホールです。

8番ホール

 

他のゴルフ場にも富士山を背景に取り入れたホールは多く見ることができますが、ティーから池、グリーンさらに富士を正面から見る景観を有したホールは、私が知る限り他にはないと思います。

 

 

 

鳴沢のフィニッシングホールはアメリカのベイヒルクラブ&ロッジの 18番をモチーフにしています。これも以前から作ってみたいパー5のホールパターンの一つでした。

 

富士を背景にハウスが迎える18番ホームホール

林間から打ち出すティーショット、S字型ダブルドッグレッグのフェアウエイ、そして池、グリーン、クラブハウス、さらに雄大な富士と景観がダイナミックかつスペクタクルに変貌していきます。

第1打落下地点からグリーンまで、右手に池が迫る旋回ルートは戦略性が高く、頭脳的プレーが求められるウォーターロングホールです。8番と同じように水面には名峰富士が映ります。言うまでもなく鳴沢ゴルフ倶楽部のコースデザインの基本理念は、「美しい日本の原風景・池と富士」なのです。

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最後に、鳴沢ゴルフ倶楽部について元アメリカゴルフマガジン誌「世界の100 コース」 の選定パネリストであり、ゴルフ史家の故大塚和徳氏は自身の著書『日本のゴルフ聖地 100』に鳴沢GCを次のように書き残しています。

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井上誠一の思想が細部まで貫かれた高原コース

「鳴沢GCのコースの特徴は、日本の生んだ名設計家・井上誠一の流れをくむ設計思想が基調で、これが細部にまで貫かれていることである。片流れ傾斜で 100メートルの高低差を持つ山林のコースとは到底思えない。各ホールの高低差に無理がなく 18ホール全体の配置が見事である。ハザードも、バンカー、マウンド、クリーク、池、随所に現れる樹木、これらが優雅で、しかも戦略的に配置され、フェアウェイやグリーンの起伏もゲームが単調にならないよう十分に計算されている。まず 4 個のパー3 だが、各々が 90 度ずつ方向を変え、違 った特徴を持つ。風の影響を考慮してであろう。パー3の最初の3番は二段グリーンとバンカー、周りの樹木の絡みに魅せられる。続く 8番は池越えで、グリーン前の大きな池に富士の雄姿が映って息を呑む美しさ。コースの”シグネチャーホール”である。インの出だしの10番は距離のある打ち下ろしで、最後の 16番はグリーンとバンカーの形状が織りなす見事な井上流造形美。しかも各々のホールがそれぞれゲーム面から違った技術を試す。(中略)

大塚和徳氏(1934~2021)

実際のコース設計は、井上誠一の晩年、関西の「瀬田ゴルフコース」東と北のコース、房総半島の「大原・御宿ゴルフコース」の建設を通して、井上から直々にコース造りの要諦を教え込まれた嶋村唯史が行っている。そしてコースアドバイスは日本ツアーで活躍した豪人プロのブライアン・ジョーンズが行っている。ホール毎のアイデアなら設計経験なしでも思い浮かぶが、現地形にどう18ホールを並べるか―ルートプランと呼ばれる―この仕事は設計の要であって、”コース設計の80%を占める”とされる。未経験の人間には無理な難題である。プレー経験豊富なプロゴルファー、これに正統派の設計家が加わってこの名コースは誕生したのである。」

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