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第2回 日光カンツリー倶楽部

「素材の覚醒」

コースの特徴

日光カンツリー倶楽部は、1955 年開場の全長 7,236 ヤード、パー72、コースレート 74.8 のゴルフコースです。

通称『日光』を一言でいうと雄大な日光連山の山麓に展開する、シンプルで気品をもった「緑の貴婦人」と言うことができます。

男体山に向かう1番ホール

コースは、敷地全体が、河川の流れに沿って東西2キロ、高低差 50 メートルの片傾斜地になっているため用地の中心部にクラブハウスを置き、男体山に向かう上流側にアウト、下流側にインが配置されています。プレーはまず男体山に向かってスタートし、上流で反転して下流を目指して再度反転して再び男体山に向かって帰ってくるレイアウトになっており、1 番ホールから 18 番ホールまで一貫した緻密で、かつ完璧な井上ストーリーが組み込まれています。

特に注目すべきは、全体の傾斜を感じさせないレベリングを重視した背景が変化するルーティングです。プレーヤーには、緑の雲海の中をホールが水平にスイングしている印象を与えますが、この平坦に見える感覚が距離感や野芝のフェアウェイの微妙な起伏等、見えないハザードとして待ち構えています。またバンカーが少ない分コゴメ柳と赤松の枝がコース空間を狭め、男体山を背に一律に速く止まりにくいグリーンがコース全体の難度を高めています。

 

那須と日光

日光カンツリー倶楽部は、栃木県で二つ目のゴルフ場としてつくられました。県下に最初にできたのは、1936 年に開場した那須ゴルフ倶楽部です。この二つのコースはそれぞれに、那須岳と日光連山を望む雄大な景観を有していますが、コースのタイプは全く違います。まさに凸と凹、陽と陰の印象です。戦前にできた那須は、自然の地形をそのまま生かした手作りの荒々しい男性的なコースに仕上がっています。反対に日光は、森の中のシックなロッジを中心に展開する、繊細で女性的なコースということができます。そして日光 CC が、実際はリバーサイドコースであることを知る人も少ないでしょう。言うまでもなくこの 2 つの両方ともに井上誠一氏の作品です。しかし井上先生は、常々「同じ地域に、同じタイプのゴルフ場を二つ作ってもしょうがない」と話しており、この二つのゴルフ場のタイプとコンセプトは、全く異なる位置づけにあります。那須は戦前、“霞ヶ関 CC の夏の別荘”とも云われていました。

大洗を海が造ったコースとするならば、日光は川が造ったコースということができ、ともに自然素材を「コースの匠」が覚醒させた感があります。また両コースとも池はなく(大洗の 2 つの池は、後年貯水池としてつくられたもの)、心地よい潮騒とせせらぎの囁きが潤いを奏でます。今回は、地元の意に基づいて作られた日光 CC のコース造りの秘密を探ってみたいと思います。

 

用地の選定

そのためにはまず、ゴルフ場用地の選定の経緯を知る必要があります。なぜなら、日光の場合は、ゴルフ場としての不適地を適地に変えた、選者の優れた先見性を見ることができるからです。その詳しい経緯はこうです。

ゴルフ場候補地は、あらかじめ経営会社として設立されていた日光国立公園観光株式会社(県策会社)によって事前に調査されていました。そして候補地は、高原リゾートの那須 GC を参考に、霧降高原など景観の良い数か所が挙げられていたのです。しかし現地調査の結果、すべての候補地が井上氏によって不適と判断され、見終わった最後に落胆したスタッフの一人が、「一応こんなところもあります」と伝えた場所が大谷川の河川敷でした。そしてコース設計を依頼されていた井上先生が適地として選んだのが、この河川敷だったのです。その時、コース造りを知らない関係者は皆、驚きと不安で「こんな礫と転石だらけのところに、果たしてゴルフ場ができるのか」と内心半信半疑だったそうです。日本では良いゴルフ場というと、原地形に関係なくフラットで緑に囲まれた、林間コースとのイメージが定着していましたが、樹木が少なく荒蕪な雰囲気が残る、河川敷コースの評判はけっして良くはありませんでした。同じようなイメージは、当時の日光関係者も持っていたようですが、井上先生はそんな不適格用地を素晴らしいゴルフ場に変えたのでした。さらに井上先生は初めから栃木県で 2 番目となる日光 CC は、那須とは違うタイプのゴルフ場を造る構想を持って乗り込んでいたのではないかと考えています。言うまでもなくコース設計者は、ゴルフ場用地の適否の判断を求められた場合、必ずその用地の検証結果と選定理由、さらには完成コースのイメージ等の見解を示す責任があります。

「用地の選定」とは、ゴルフ場適地(地形)をいかに見つけ出すか、言い換えるとゴルフコースという宝石の原石を探し出す鉱脈探しと同じなのです。そして原石にもいろいろ種類があります。そのため設計家には選者としての資質と、コース造りの経験を生かした眼識が問われることになります。

 

ゴルフ場造り

テストホールとして先行して造られた日光CC6番ホール

ここからは、コース設計者の立場から、実際のゴルフ場造りについて話したいと思います。はじめに海外(欧米)と日本とのゴルフ場造りの違いについて簡単に触れておきましょう。

外国では、ゴルフ場をつくるために山を崩したり、谷を埋めたりするコ ース造りはあまり見ることがありません。もともと地形の険しいところにゴルフ場を造ろうとする発想自体がなく、シェーピング(造形)だけでコースを仕上げる手法が一般的です。原則的には地域計画における緑化政策の一環としてゴルフ場が位置づけられているのです。

客土によって造られた川奈ホテルGC・富士C15番ホール

しかし、国土の狭い日本の場合は、土地利用(都計法)の優先順位が決められているため、海外とは大きく事情が異なります。実際には 1975 年に 1000 箇所のゴルフ場を数えたころから、もうゴルフ場適地を見つけることが厳しくなっていました。その中でも特に河川敷は、唯一あるがままの自然が残され、ゴルフ場素材としては非常に貴重で、且つ得難い候補地の一つでもありました。

実際の日光のゴルフ場は、県営工事として地形の谷(川)を埋める発想でスタートしましたが、実際には埋めるのではなく、河床面に客土を敷き詰めるカバーリングの工法が採用されました。利点としては河床の微妙なウエーブを、そのままフェアウェイのアンジュレーションとして取り込むことがきますがそのまま芝が育つ土壌にはなりません。そのためには当然、覆土(客土)前の転石の移動、及び礫の除去等の丁寧な整地作業が重要かつ不可欠でした。実際にオープン時にもコースにはまだ転石が残っている状況でした。そのため先生は、コース育成について関係者に、時間をかけ決して焦らず環境とのバランスを図りながら、コースクオリティーの向上を目指すようにアドバイスし、「コースを育てる」真のメンバーシップの心構えを説いています。

参考までに、川奈ホテルの富士コースも、地質が溶岩台地のため芝が育たず、全面客土によってゴルフコースがつくられました。しかもその土は近くの川奈港まで、小田原から船で運びこまれたものでした。まさに川奈をつくったホテルオ ークラのオーナー、大倉さん(喜七郎・男爵)の心意気を感じることができます。

 

ショットバリュー

次にホールのデザインプロットについて、具体的に検証してみることにしましょう。

日光のコースは実際には全て打ち上げか打ち下ろしになっており、平らなホールはありません。更に、フェアウェイにバンカーは少なく池もないので、ショットの目安が定まりません。つまり距離感がつかみにくいのです。渾身のナイスショットもフェアウェイの転がり具合でラフに入り込んでしまいます。唯一の方向判断のヒントになるのは、遠くに見えるグリーンの花道です。ここからティーまでをフィードバックしていくのです。先生のコースでは、花道は必ずホール攻略ルート、つまり王道(設計)上にあります。このように日光のハザードは、ショットの落下地点の「転がり具合」、つまりショット後の結果が納得と反省となってその姿を現します。つまりショットバリューが試されるホールデザインになっているのです。

因みにショットバリュー(Shot Value)とは、「ショットの良否が結果に出るか?」つまり「設計者が意図した攻略ルートに、設計者が求めたショットを打てるかどうか。またプレーヤーは求めているショットの判断と選択ができたかどうか」ということになります。この考え方は「冒険を冒す危険への報酬(Risk&Reward)」といわれゴルフコースの戦略型設計概念の基本になっています。そして当然リカバリーのための「逃げ道」を、設計者は必ず用意しています。

 

改修された 9 番ホール

日光には通称「松の廊下」と呼ばれる名物 11 番ホールがありますが、ここでは、フェアウェイバンカー1 つで全体の難度を高めている、9番ホール(578ヤード パー5 HDCP-3)について検証してみることにします。(下図参照)

この 9 番ホールについては、倶楽部理事の阿部孝信氏から貴重なお話をお伺いすることができました。

オープン時はストレートに近い、やや左ドックのロングホールだったそうです(下図白点線)。そしてフェアウ ェイ右側にはバンカーもなく、代わりに大きなマウンドが張り出していました。1959 年の台風洪水によってテ ィーごと流されたため、先生自らティーを今の位置を変え、グリーン回りも含め今のホール形状に修復したそうです。

ホールは高低差8メートルの雄大な打ち下ろし、距離のあるロングホールです。ティーから見えるハザードは、フェアウェイ右側に置かれた大きなセミクロスバンカーと樹木Ⓐ、そしてフェアウェイに張り出す樹木林帯ⒷⒸⒹで構成されています。ホールは緩やかに右ドッグしており、このバンカーは、飛ばし屋にはクロス、アベレージプレーヤーにはサイドバンカ ーの二つの役割を果しています。グリーン手前には、二つのバンカーが花道を狭め、アプローチショットの方向性を厳しく限定しています。

そしてこのホールには、基本的に 3 つの(図示)の攻略ルートが設定されています。

第 1 打はバンカーをクロス(真上)に越えて、第 2 打をグリーン、もしくは花道を狙う 2 オンルート
バンカー左サイドから、第 2 打を左林帯Ⓒを避けグリーン手前に落とし 3 オンを狙うルート
フェアウェイなりに、花道までの寄せワン狙い

 

紅葉が美しい3番ホール

一般的に、ゴルフゲームの基本は、距離感の把握とそれぞれのスキルに基づく攻略ルートの選択とだと言われます。どうやら「井上マジック」の正体は、プレーヤーの脳裏に様々な「錯覚」を起こさせる、自然のトリックアート、つまり「だまし絵」の手法(トロンプ・ルイユ)にあるようです。先生には「だまし絵」ではなく、「自然との対話だよ」と叱られるかもしれませんが …。そしてこの見えないハザードを克服する唯一の方策は、プレーヤー自身がまずコースを知り、そして対話することです。よくコースの難しさは、女神の喜怒哀楽に例えられます。対話するということは、女神の心をつかむ「気配り」のことです。日光は、メンバーのコースへのこだわりと、愛着度が試されるコ ースデザインになっているのです。

コースの景観修景の手法としては、視覚を利用した「だまし絵」の他に、遠近を逆に見せる「反遠近法」、そして景観から違和感としての人工物を隠す「カモフラージュ」の手法等があります。後者の迷彩手法は、オーガスタ N.G を設計した A.マッケンジーが、はじめて戦争での経験をコース設計に取り入れたと言われています。

参考までに用地をいかに厳しく選定したかを物語る実際の資料が倶楽部には残っております。

昭和 28 年 12 月作成の「日光カンツリー倶楽部 GolfCourse 竝びに付帯設備新設計画書」で、建設案の概要を井上氏自身がまとめたものです。その中の「当計画地を選定した理由」の項でいくつかの候補地を回り詳細に調査した上で、用地選定の経緯を述べています。


≪選定理由≫

1.まず数カ所に及ぶ建設候補地の綿密な実地調査を行い、その比較考量の上に、計画者の熱意に応えて原敷地の欠点(河川敷のため礫や転石の多いことおよび冠水の危険性)を認識しつつ選定したこと。

2.一方、敷地内には大小の川柳をはじめ、松林や樅の独立樹があり、地形も変化に富んでいるので、バンカー等の人工障害物はなるべく作らずに、既存の樹木、岩、流水等の自然の障害物を活用して風致に富んだコース造りを構想したこと。

≪クラブハウスについて≫

3.倶楽部の中心となるハウスの位置取りを最重視し、敷地全体の高低差(440m~490m)および場内の行動線と展望(特に東南面)並びに現将来の交通事情等々を考察し、さらに将来の増設までも考慮に入れて、敷地の北側中心点(油川の北側)に選定し計画の要とした。

4.その上でハウスのスタイルも、コースの雰囲気、周囲の環境を考えて新形式を採用せず、太い丸太を使った山小屋風のものにして、風致を尊重したこと。

≪コースについて≫

5. コース造りに当たっては、土工、築造全般にわたって極めて最新懇切な指示を行い、特に転石等の処理活用による地盤形成には綿密な指示をしていること。

≪芝について≫

6. グリーンは 1 グリーンとし、その芝はベントを採用していること。

(開場 40 年史より抜粋)


他の候補地に比べてはるかに植生などの風致に優れ、地形も変化に富んでいることなどから工法さえ工夫すれば十分建設が可能であると判断し、ここに用地を選定したと井上氏は書き残しています。

現場に立つ井上誠一氏(烏山城CC)

井上氏はコース設計の仕事を受けるにあたってすべてのゴルフ場で必ずこのような「企画(立案)計画書」を作成し、設計依頼の背景も含め設計の趣旨、そして自ら取り組む姿勢と責任を明確にしています。今でもこれらの資料は、倶楽部の重要な年史編纂、コース改修工事さらにコース管理の手引書として見返されています。その意味でもこの「計画書」は、先生が先人として日本のゴルフ界にあえて残した遺言書だったのかもしれません。

日光CCでは 2025 年に日本オープンが開催される予定です。